表現の仕方が文学的過ぎる

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。

寝ている間に、寝返り打ったり、おなか掻いたり、足クネクネさせたり、そいうことで皺ができる。

人生も同じ、自分が意図しないことが次々と起こる。
他人が私の人生に絡んでくるから。
むしろ、自分の人生なのに、他人の言いなりになっている時間のほうが多い。

一人孤独に生きている人間っていないんだろうなぁ。
どっかで誰かしらと繋がっている。

「まじめ」は、誉め言葉ではない

まじめという言葉には縁がない。なまけものと言われるほうがしっくりくる。

ボクは、まじめといわれて、いい気になっていた学生でした。
でも、大人になると、まじめなんて別にいらない。

「自分はまじめだから」、みたいに心の中で思っていると、なんだか恥ずかしくなってきて、あえて怠け者になってみたりする。
心の中では葛藤しているから、またまじめに戻る。

そんなことを繰り返していると、だんだん疲れてきて、メンタルが病み始めた。
まじめって、誉め言葉じゃなくて、実は人をダメにするセリフなのかもしれないと思う。

存在価値は気にしないこと

つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

自分の存在価値なんて気にしなくていいんだよ。

「自分の存在価値って何だろう」って考え始めると、他人との比較になってくると思う。
他人と比較したってなんにも良いことないです。

むしろ、苦しくなるだけ。
隣の芝生は青く見えるってやつです。

「私の存在価値って何だろう」なんて考える必要ないです。
メンタル壊れる。

やる時はやる、やらない時はやらない

何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。

休日はボケーっとしよ。
で、一日が終わるころに後悔する。
誰もが経験したことある「時間の無駄遣い」ですね。

たいてい、そういう日曜日を過ごした次の月曜日は、体がだるくて働きたくない気が全開なんですよね。
月曜日からやる気マックスで働きたいのなら、日曜日に思いっきり遊ぶことです。

心にモヤモヤがある状態で、人ってなにもしないでいることができないのではないかと思う。
何かしておかないとって思う。

することがたくさんあるときは、逆に「なんもせん」と決め込んでボケーっとするのが楽。

さいごに

推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。

「推しは推せるときに推せ」
推しがいる人生って、ものすごい楽しいと思う。
「推しのためなら、なんでもできるぞ!」って気持ちが、自然と体の内から湧き出てくる。

推しって、別にアイドルとかじゃなくてもいい。
アニメや漫画、何かモノやイベントでもいい。

「推しのためなら」って気持ちで、仕事も遊びも頑張れる。
誰もが一つは持っておきたい存在なのではないでしょうか。