お金よりも自由に使える時間の方が偉大だと思う

会社員とは会社の理不尽に従って生きるものだ

組織に属する以上、所属している組織のルールに従うのは当たり前。

会社員は、会社のルールに従って働いている。
自由はないかもしれないけど、やることやっていれば給料はもらえる。

どっちを取るかですね・・・自由を取るか、給料を取るか。

ボクは、自由を取りました。

会社を辞めた後、会社の偉大さを知りました。
毎月収入があることが、どれだけすごい事なのかを痛感いたしました。

だけど、会社員に戻る気はありません。お金よりも自由に使える時間の偉大さの方が、はるかに大きく感じます。

学生と社会人とを分かつ境界線がある!?

半年前まで当たり前のように通っていた場所が、今はまるで異世界のようだ。『お前はもうここの住人じゃない』・・・・・・ひんやりした校舎が、大人になった自分を拒んでいる・・・・・・そんな感覚だった。

卒業してから、母校を訪れた経験がある人は多いのではないでしょうか。ボクも訪れたことがあります。

異世界とまではいかないけれど、洞窟の中のようなひんやりした空間だと感じましたね。

同じ場所でも学生と社会人で、感覚が違うのだと思う。社会人になったら、どこでも遊び感覚の学生では、いられないということ・・・・・・かな。

さいごに。誰と一緒に生きていくか・・・

母は泣かなかった。仏壇の前でひたすら呆然としていた。直美は年を取ってから、その気持ちを理解することができた。本当の悲しみに直面したとき、人は涙を流す気力さえ失ってしまうのだ。

祖父が亡くなった時、祖母は泣かなかった。
ボーっとすることが増えたな・・・程度に考えていた。

2年後、祖母が亡くなった。

祖父が亡くなるまでは、元気だったのに、2年で急激にやせ細っていった。

生きるには気力がいるということを知った。
気力を維持する方法は、人によって違うだろう。

だけど、それは仕事でも趣味でもなくて、「誰か」なんだと思う。祖母にとっては、祖父だった。

誰と一緒に生きていくか・・・・・・それが大事なんだ。