面倒くさいことをやる

自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の手足でやってみるということ。もしやそのことを、今の世の中は「不便」と呼んでいるんじゃないだろうか。

便利なものが何でもそろっている現代。
掃除も自動でしてくれる掃除機があるし、スイッチ入れれば米も炊けるし、洗濯もできる。

もう人間のすることなんてないかのように思う。
でも本当にそれでいいのか。

人間は便利な世界で何もしない。
何もしないは、もう死んでいるということなのでは。

自分の頭で考えて、自分の手足を使って、不便な生活を送っている方が、生物として、人間として、生きていることが実感できるのではないか。

死んだように生きていけるこの世界で、活き活きと生きていくには、面倒くさいことをどれだけやるか。

後悔と不安は、幻想である

過去がどれほど失敗だらけで恥や裏切りや理不尽な扱いにまみれていようが、そして未来がどれほどひどいことになりそうな予感にまみれていようが、「今この瞬間」にはなんの問題もない。

今を生きよう。

過去の出来事を後悔しても、未来に対して不安があっても、今この時はなんの関係もない。

後悔と不安は、あなたが作り出した幻想でしかないのだ。

さいごに

生きることに何の意味があるのかは、ボクには分からない。

「生きることに意味なんてないよ」っていう人もいる。
「意味を見つけるのが生きることだよ」っていう人もいる。

生物としての生きる意味というと、地球の歯車の一つでしかないように思う。
だけど、人間として生きる意味というと、とたんに難しくなる。

勉強しないといけない、仕事しないといけない、世間体を気にしないといけない。
いっそ地球の歯車の一つと考えた方が、人生楽しく生きていける。

そんな気がしてくる今日この頃。