死に振り回されると、往々にして生き方を失います。生き方を失った生は、死に等しいのではないでしょうか。逆に、生き方を維持して死ぬことは、生に等しいとは言えないでしょうか。
最後の医者は桜を見上げて君を思う(著:二宮敦人)
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自分の考えるように生きる。自分の思うように生きる。
誰もが憧れるような生き方ですよね。
誰もが憧れる生き方のはずなのに、できていない人が多いのではないでしょうか。
死を選ぶことも生き方の一つ
冒頭の引用した文章は、医者のセリフです。
医者のセリフとは思えないですが、言っていることは、なぜだか納得できた。
医者であるなら、なにがあっても患者を救おうとするはず。
治る見込みのない病気であっても、1分でも1秒でも長く生きさせようとするはず。
でも、この医者はこう言う。
「生き方を失った生は、死に等しく。生き方を維持して死ぬことは、生に等しい。」と。
死を選ぶことも生き方のひとつ。そう言っているように聞こえる。医者が言っている。
でも、私は理解できてしまった。この言葉は正しいことを言っている、と。
言葉にするのは難しいが、しっくりときたというか、「私もそういう生き方をしないと。」と、思ってしまったというか…
そう、思ってしまったのだ。
脳で理解することではなくて、心がはっきりと反応してしまった。
人の数だけ人生がある
私には私の。あなたにはあなたの人生がある。
一人ひとり違う人生がある。
誰もが自由に自分の人生をどうしたいのかを選べる。
選択肢は山ほどある。でも、みんなが幸せに生きているかどうかは別。
「幸せですか。」と聞かれれば、「…」と、黙り込んでしまう人のほうが多そうだ。
それは、あなたの脳が理解している生き方と、あなたの心が感じている生き方が、バラバラだからだと思う。
頭が理解する生き方、心が感じる生き方
社会の中で流されるように、自分の意思とは関係なく生きている。
そういう人が多いと、私は思っています。
そういう生き方を否定するわけではないですよ。
私も流されて生きている側の人間なので。
でも、そういう生き方って、心が痛んできませんか。
頭では、今の生き方が正しいんだ、って理解しているかもしれませんが、心がそういう生き方を否定しているんです。
心が死んでいると言ってもいいかもしれません。
「生き方を失った生は、死に等しい。」とは、こういう状態のことを言うのではないでしょうか。
心に従って生き方を選ぶ。山ほどある選択肢の中から、心がワクワク踊り出すようなものを選ぶ。
たとえ、その生き方が周りから否定されようとも、非難を浴びようとも、自分の心には嘘はつかない。
「生き方を維持して死ぬことは、生に等しい。」とは、こういう状態のことを言うのではないでしょうか。
さいごに
誰も死んだように生きていきたくないですよね。
頭で理解していることも大切ですが、心で感じたままに生きていきたいと思う。
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