「夜のピクニック」(恩田陸)の一文。
答え合わせができない問題。人の感情というものは、「好き」という感情だけじゃなくて、あらゆる感情が答え合わせできないんだろうな。
答え合わせができない問題。人の感情というものは、「好き」という感情だけじゃなくて、あらゆる感情が答え合わせできないんだろうな。
「好きという感情には、答えがない。」
そういわれると、そんな感じがする。そんな感じがするっていうだけで、納得できてるわけではない。
詳しく話すと、少し哲学的なお話になってくるのかもしれない。
答え合わせができないってこと
「好き」ってなったら、何がどうなったら正解で、なにがどうなったら不正解なのかわからない。
「好き」という気持ちを相手に伝えて、返事がイエスなら正解で、ノーなら不正解っていうのも違う気がする。
相手からの返事だけで、「好き」という感情のすべてを判断するのは間違っている。
自分の心で答えを出せばいいのか
「好き」という感情は、自分の心の中で生まれる。
自分の心の中で、好きだという気持ちを大切にすることでも、その人にとって十分なのであれば、それはきっと正解なんじゃないかなと思う。かといって、「好き」という感情は、言葉で伝えてこそ意味があるという気持ちもある。
伝える。伝えない。どっち?
伝えてこそ意味があるのなら、伝えるは正解で、伝えないが不正解ということになる。
伝えなくても、自分の心の中では「好き」という感情が存在しているわけだから、「伝えないから不正解」では、無感情で生きるのが正解ということになってしまう。
伝えるのが正解であっても、相手の返事がイエスかノーかで正解か不正解かが変わってしまう。
さいごに
人間の脳みそが発達しすぎなんじゃないかと思う。
なにかしらの答えが出ないことには、無限にモヤモヤしたり、ハラハラしたりしないといけない。ってことになる。
どんどん訳がわからん話になってきたけど、「好きという感情」に答え合わせができることなんてないんだろうな。
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